嗚呼素晴らしき伝統よ・・・歴史を辿る、人形の街「岩槻」

岩槻は、埼玉県の東部に位置し、さいたま市を構成する区の一つです。この場所は戦国時代からの城下街として発展してきた地域です。また人形作りの伝統を伝えるエリアとして重要です。その特徴ある岩槻につき、歴史と合わせてこれより紹介します。

城下町や宿場街として発展を遂げた岩槻

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埼玉県は、関東地域を構成する県の一つであり、賑やかな都市部や自然豊かな郊外など、豊かな表情を持ちます。その中で、古くからの歴史を持つ伝統の地域として、岩槻が見逃せません。この地域の歴史を紐解いてみると、興味深い発見が多く見つかります。岩槻では、すでに一万年以上前から人が暮らしていた証が残されています。この地域では発掘された遺跡から出土品があり、保存活動が行われています。さらに大きく発展を遂げたのが、室町時代以降です。この地に城が築かれたことをきっかけとして、城下街としての賑わいを見せます。今でも城の史跡はこの地に残されていて、観光で訪れる人も多いです。戦国や江戸の時代に興味ある人は、訪れてみる価値ある史跡です。また江戸時代を迎えると、幕府が日光を開いたことにより、岩槻はその地理的条件から日光へ続く街道の宿場町としての新たな役割を持ちます。日光へ訪れる人たちが安らぎを得る場所として、岩槻は発展してきました。こうした歴史を知ってみると、岩槻のことにもっと興味が持てます。今の岩槻が、これまでの歴史の上に成り立っているのがよく分かります。

江戸時代から人形の街として職人が活躍する岩槻の歴史

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岩槻の歴史を語る上で重要であるのが、この地が人形作りの街である点です。日本の伝統工芸として、人形は代表的な作品の一つです。繊細な作業で仕上げられた人形は、日本の伝統の美を体現しています。岩槻は、日本の人形作りと密接な関係を持ちます。この地で人形が作られるようになったのは、江戸時代です。日光東照宮が造成されることになった際、多くの職人たちが宿場町である岩槻に住まいを置きます。その結果、職人たちは岩槻で、伝統工芸の桐箪笥作りなど、技術力を活かした新たな産業を興します。卓越した技術を応用して、新たに人形作りにも活かされます。それより岩槻で作られた人形は、土産物やあるいは出世や商売繁盛の祈願のために用いられ、人々からの人気を集めます。この人形は、数百以上もの工程を経て、ようやく完成する工芸品です。その作業は非常に繊細であり、複雑なものです。それだけに、岩槻で伝わる人形作りの技術は非常に価値があり、作品は伝統工芸品として現代の人々に重宝されています。生産量や生産額で日本一を誇る人形の街として、さいたま市における岩槻の存在感は大きいです。

岩槻の伝統行事に感じられる重みある歴史の価値

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人形と縁が深い岩槻は、人形に関する伝統行事が毎年行われています。さいたま市を訪れる機会があるならば、時期が上手く合えば伝統の催し物に出会えます。岩槻から全国に知られている大きな行事として、人形供養の祭りがあります。人形供養は、古くなった人形を供養するための祭りです。人形の街ならではの行事であり、いかに人形と密接な関係にある地域であるかが分かります。人形は、長く大切にしていると捨ててしまうのが偲びありません。そこで、長年寄り添ってくれた人形を、人形供養の祭りで大切に供養できます。厳かな雰囲気の中で行われるこの伝統の祭りは、歴史が感じられる行事として参加する価値が大きいです。その他にも、古い伝統を誇る岩槻の古式子供土俵入りの催しは、興味があるものです。約470年以上の歴史がある行事であり、安泰を祈り子供たちが参加する伝統芸能です。化粧回しを身につけた子供たちが土俵の上を舞う姿は、荘厳でなおかつ微笑ましくもあります。岩槻の重みある歴史は、この地に残された史跡や人形作りの伝統のみならず、人々の間に受け継がれている行事の中にも感じ取れるものです。

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